ラーマ3世が掘らせたのは別の区間
1837年の命令は具体的です。フアマークから東のバーンカナークまで、53.5km。チャチューンサオ県のあたりです。
バンコク市内を通る区間がいつ掘られたのかは、記録がありません。このサイトに載っている船着場はすべて、その由来不明の区間にあります。
ラタナコーシン朝三世王御撰年代記 第117章
セーンセープ運河 · คลองแสนแสบ
いま乗っている運河について、知っておくと面白いこと。すべて原資料にあたって確かめました。なかにはほとんどの人が言い伝えている話を訂正するものもあります。
1837年の命令は具体的です。フアマークから東のバーンカナークまで、53.5km。チャチューンサオ県のあたりです。
バンコク市内を通る区間がいつ掘られたのかは、記録がありません。このサイトに載っている船着場はすべて、その由来不明の区間にあります。
ラタナコーシン朝三世王御撰年代記 第117章
年代記は端数の小銭まで記録しています。木材代も込みです。
掘ったのは賦役ではなく賃金労働者でした。原文は จ้างจีนขุดคลอง、「中国人を雇って運河を掘らせた」。幅約12m、深さ2m。
同じ年代記の一節
着工は1837年12月30日。この運河はよく1841〜45年のシャム・ベトナム戦争のために掘られたと言われますが、その戦争が始まったのは1840年11月3日。運河はもう出来上がっていました。
正確には、戦争の最中ではなく、二つの戦争のあいだに掘られています。
英語の記事はどれも、英国の外交官 D.E. Malloch が1830年代に「十万回刺されたような痛さ」と書き、それが運河の名の由来になったと伝えています。
彼はそんなことを書いていませんし、外交官でもなく商人でした。蚊についての実在する記述は 20年後の D.O. King のもので、そこに「十万」は出てきません。
D.O. King, Journal of the Royal Geographical Society 第30巻(1860)177–178頁
よくある説明では、これはクメール語で真水を指すとされます。実際にはタイ語で、ひりひりする痛みのことです。
真水を意味する語はたしかにあります。สาบ です。別の語ですが、音がほとんど同じでした。
ส. พลายน้อย『芸術と文化』16:2(1994)
ちなみに แสน は「十万」でもあり「とても」でもあります。タイ語話者が聞いているのは数ではなく「ひどく沁みる」のほうです。
ラーマ1世が、1785〜86年の九軍戦争でシャム側として戦ったチャム人兵士にこの土地を与えました。
彼らが住みはじめてから半世紀ほどたって、隣の運河が掘られています。
1948年からバーンクルアの織り手に発注していました。工場ではなく、各家庭の織機での仕事です。彼のチーク材の家は、運河をはさんだ真向かいに建っています。
最盛期には約100台の織機。いまも織っているのは一軒だけです。
The Nation 2024年4月26日
1987年、第2期高速道路の計画線がバーンクルアの真ん中を通ることになりました。住民は1988年から反対運動を続けます。
集落はいまもそこにあります。
1908年 — ナイ・ラートの「白い郵便船」
1971年 — ラムカムヘン大学への非公式な小型船
1990年 — いま乗っている急行船
乗務員は船体の外側の細い縁に立って運賃を集めます。そしてこの運河の橋は、すぐ頭上を通ります。
ついでに言うと、横の防水シートを引き上げるのは乗務員ではなく乗客です。
2007年、海運局はバーンクルアヌア船着場を登録しています。所有者は船会社自身で、他の26か所すべてへの運賃も公示されていました。
ところが同じ年の乗客数の表は、九つともダッシュ。一年で誰も乗っていません。 2014年には名簿から消え、理由を記した文書は残っていません。
タイ海運局 船着場・運賃表(仏暦2550年)
英語版ウィキペディアには2011年の出典なしの編集以来「Wat Noi」という船着場が載っています。 วัดน้อย は寺の名前で、海運局がラムカムヘン29船着場の位置を説明するのに使っている、まさにその寺です。目印が停留所名として読まれたのでしょう。
そのあと船会社自身のサイトが、ウィキペディアの船着場一覧を誤字ごとそのまま写しました。そして今、ウィキペディアはそのページを出典として引いています。
ウィキペディア編集履歴、タイ海運局 船着場説明(仏暦2563年)、OpenStreetMap
バンコク都が段階的に建設中で、完成予定は2029年。出来ている区間もあれば、入札すら済んでいない区間もあります。
「運河沿いに一本の道が通っている」という説明は、計画のほうを指しています。
バンコク都 排水局
原資料にあたっていないことはこのページに載せていません。出典は各項目の下に書いてあります。二つの文書が食い違うとき、たとえばバーンクルアヌア船着場のように、両方をそのまま残しています。
タイ語の公文書を第一に、英語の資料を最後に置いています。この運河についての英語の情報は古いまま引き写されがちで、2018年の運賃と実在しない船着場がいまだに出回っているのはそのためです。